肉体にメンテナンスが必要なように、
精神にも適宜メンテナンスがいる。
「思考の垢を落とす」のもそのひとつ。
思考の垢とは、平たくいえば、思い込み。
小難しく言えば、概念。
自分が自分に定めた小さなルールも、
それに縛られてしまえば、垢になるということだ。
考察だが、
その垢を作り出す元は何かと言うと、
現代の人間の価値基準にあるのではないかと思う。
それは、ほとんど二元的に分けられている。
善いのか、悪いのか。
高いのか、低いのか。
優れているのか、劣っているのか。
得なのか、損なのか。
快なのか、不快なのか。
楽しいのか、苦なのか。
聖なのか、邪、あるいは俗なのか・・・・など。
これらの価値基準だって、ひとつの物の見方に過ぎないのに、
人は知らずうちに縛られていて、
これが多くなればなるほど「アタマが固い」という現象に陥る。
反対に、
「こうすべき・・・こうあるべき・・・」という約束事が少ない人は、
洗練された印象で独特な軽さを持つ。
これは、「自分」がないままで
「わからないから何でもいい」という人とは明らかに違うのだが、
「主張しない軽快さの人」との大きな違いは何かというと、
「バランス感覚」ではないかと思う。
常にニュートラルな視座を保持しながら、決して、事に冷めているわけではなく、
どこにでも「オン」の状態でありながら、価値に偏らないバランス感覚。
だが、よく観察すると、
このバランス感覚は、内的な運動神経みたいなもので、
「センス」に近いものではないかと思えてくる。
これを養うには、
内側の「リズム」を知ることかな・・・
ちょっと話が難しくなったが、内側のリズムを知るということは、
人間本質に近づくためのツールではないだろうかと、
いのちの感覚に触れる度に感じている。
内なるバランスとリズム。
自分なりに感じながら考察してみると面白いと思う。